モチベはアイドル

留学・旅行記録、韓国アイドルから中華アイドルまで

《中国生活》なぜ中国留学を選んだのか。

 

 

こんにちは。

今回は、私がなぜ中国の上海に留学することを決めたのか。

留学においてどのような準備をしたのか、また留学生活半分を終えて今思うことについて記したいと思う。

 

 

物語形式(?)なので馬鹿みたいに長いです。

気になる方は、暇な時に読んでみてください。

(2022/11追記 文体を修正し、見やすいように目次を追加しました)

 

 

 

 

part1 留学に対する考え


私は中学生の頃から留学に対する憧れがあった。

それは小学校入学すぐから英語を習い始め、外国の文化に触れるのが早かったこともそうだし、当時の得意科目は英語で、自信があることは伸ばしたいという考えが自分の中にあったからだろう。


同時に、2010年頃の空前のKPOPブームにより、小学生高学年から韓国アイドルのオタク人生を開始していた私は、中学生になってさらに「韓国に行きたい!」という気持ちが増していた。


そのため、中学生の頃に1度韓国ホームステイをした。

これが初めての海外経験だった。

 

 

part2 高校生

高校は国際科がある学校に進学したため、県がサポートするアメリカ留学のチャンスもあった。(留学期間は1年間で、留年せずに3年で卒業できる)


私は留学の条件である英検を早めに取っていたのと、テストの順位が良い時に貰えるお小遣いを目当てに真面目に勉強していた甲斐もあって、成績だけはまあ、そこそこ、良かったので(うるさ)、先生に「アメリカ留学の選考を受けないのか」と聞かれたこともあったが「中国に行くので大丈夫です」と答えた記憶がある。

 

結局高校生の内は、アメリカ留学には行かず、県主催のホームステイ事業の一環で中国と韓国に行った。

 

今考えると英語力を伸ばすためにアメリカに行っておけば良かったかなと思ったりする(......)

 

何故その時、1週間程度の交流事業である中国でのホームステイを選んだかというと、「好きなアイドルグループに中国人メンバーがいるから」というだけの理由だった。推しはずっと韓国人だったのに。今考えるとどうしてそんなに中国に行きたかったのか自分でも不思議で仕方がない。

ただもう一点理由を挙げるとすれば、アジアに関することは自分が1番でいたい!という気持ちはあったかもしれない。中国に行く枠は私のものだから誰にも譲らない!という謎のプライド。

好きなことでは絶対に「ナンバーワンでありたい」という気質があったのだと思う。

 

このとき中国を選んだことも、何かの縁だったのかもと思ったのは、大学生になってからである。

 

 

 

part 3 大学生

大学も高校と同じく、海外と関係している学部に進学した。

 

また、高校の時に留学をしなかったので、大学生になってからは好きな国に長期留学をする!と決めていた。

 

どこの国にするか、に関しては相変わらず韓国アイドルが好きだったので入学当時は当然のように「韓国の延世大学に留学する」だろうと思っていた。

なぜ「延世大学」かというと、私の中で留学するなら教育の質の高い大学に留学することは必須条件だったのと、私の大学と提携校であることを知っていたからだ。

それに、韓国に留学すれば、オタ活もしやすいだろう。

 

留学の時期に関しては、家庭の経済状況的に留年なしで4年で卒業したかったのと、就活をスムーズに終わらせたいという気持ちから、絶対に「二年次後期から留学する」と心に決めていた。

 

 


ちなみに、私は1年間だけ強制的に外国人留学生と共同生活をさせられる学部(言い方)に所属していて、当時のルームメイトの3人中1人は留学生だった。

 

 

前期のルームメイトは台湾人。

 

私の人生が変わったのは彼女によってである。

 

 

 

part 4 台湾を目指す/留学の準備開始

彼女は「台湾の東大」と言われる大学の日本語学科の学生。彼女は日本語のみならず英語もペラペラで韓国語も勉強中。単位にならない授業も聴講していた努力家で、そしてびっくりするくらい美人。


私も彼女みたいになりたい!と思ったことが台湾留学を目指す始まりだった。


ちなみに彼女が在籍する台湾の大学と私が通う大学は提携校で、交換留学が可能。


台湾はご飯が美味しいらしいと聞いていたし、私自身台湾の宗教に関して興味があったので卒業研究も合わせてできるよい機会だった。

 


「台湾の東大に2年生後期から留学する!」

と決めてから私がまず行ったのは、

留学申請に必要な資格、条件を調べること、だった。

 

これに関しては、学部の条件が非常に厳しく、中華圏留学には

「英語で授業を受ける場合はIELTS6.0またはTOEFL550点以上、中国語で授業を受ける場合はIELTS5.5/TOEFL500以上かつ中国語検定3級以上」

が必要だった。

 


結構ハードルが高い条件(しかも2年後期からの留学であれば、1年生の12月までに全てを取る必要がある)だったが、「台湾の東大」に、到底東大には及ばない片田舎の国立大学から1年間も留学できるならば大変お得だ!と考えていたので、そこは頑張るしかないという心持ちではあった。

 

元々留学先では英語で授業を受けるつもりだったのだが、英語のスピーキングがどうしても苦手だったので、IELTSは受けたくなかった。()それならば後者の条件を満たす方でやって行こう、ということで、まず中検3級を取ってからTOEFLを取ろうと考えていた。

 

中検は年に3回、2年後期留学のために使えるのは6月と11月の試験のみ、つまり、チャンスは2回......。(結果的に1回のみのチャンスも同然だった....事は後に記す)


一見すると無謀にも思える。何故なら私は当時中国語がほぼ初心者の状態で、学校の授業・課題等をこなしながら、同時並行で独学で中国語検定3級に合格する必要があったからだ。

でもその時の私は勢いだけは凄くて(自分で言うな)、別のルームメイトに「絶対台湾大学に留学する」と早々から宣言していたし、やる気に満ちれば「なんでもやる!」という強さがあったように思う。

 

 

 

 

part 5 資格の勉強

一年生の後期から始まる第二言語は、ナンバーワンになりたい気質が自然と韓国語を選んでいた。(韓国語の基礎は独学で既にできてるのに...今考えると他の言語にしても良かっただろうにと思う。基礎があったおかげでテスト勉強に苦労しなかった点はよかったけど)

 

つまり、殆ど中国語初心者といっても過言ではない人間が、試験の1ヶ月前であるゴールデンウィークごろから中検3級の勉強を始めた。

 

毎日授業が終わってから図書館に閉じこもり、文法を頭に叩き込んだ。

声調とピンインを頭に入れるのは気が遠くなるような行程だったが、とにかく何回も復習をした。


しかし、結果は不合格

敗因は、リスニング。

 

中検は筆記、リスニング共に合格点を超えていれば合格なのだが、筆記は78点で合格点を越していたものの、リスニングは合格点60点前後に対して自分が取れたのは40点。


サークル活動も行かなかったし、友達とも殆ど遊んでいない。

大学入学してすぐの1ヶ月を全て勉強に費やしたというのに、合格できなかった、と知った時は正直心が折れかけた。さっさと中検に合格して、後期は留学資金を稼ごうと思っていたのに.....。

 

しかし、あえて言い訳するならば、1ヶ月という短すぎる期間内でほぼ中国語初心者の人間が、レポート学部と言われるほど課題が多い環境下で筆記も、リスニングも極めるには、「無理があった」とは思う。

 

また、私の弱点は「リスニング」ということがはっきりとわかった点では挑戦した意味のある試験だったと今となれば思える。

 

 

 

その後、TOEFLに関してはラッキーなことに同じく6月に受けた試験で難なく500点を超えることができた。

「あとは中検さえあれば....」と思いつつ、挫折を感じていたので、しばらく中国語の勉強をやめることにした。

それに、TOEFL550点を越えれば中検を受ける必要もなく、現地では英語で授業を受けることができるので、一旦は「TOEFL550点」を目指すことにした。夏休みに語学研修で英語圏に1ヶ月留学した後は、TOEFLの勉強に打ち込んだ。

 

だがしかし、550点は取れず....(この時点で9月後半)

 

 

「このままじゃ2年後期に留学できなくなる!」という焦りが込み上げてきたため、10月に入って再び中国語検定3級を受ける決心をした。

 


それからは前回以上に土日も朝から晩まで図書館で勉強した。

 

さらに後期からは、台湾留学に際して台湾出身の先生に留学相談をしていた。先生からは「中国語の授業の聴講」を進められたため、言われた通り聴講させてもらい、耳に中国語を触れさせる機会を作った。

また、ディクテーションを中心にリスニング対策を行い、単語も今までとは違う単語帳を買ってとにかく語彙を増やした。

確か、長い日は11時間以上勉強していたと思う。

 


とはいえ、このような息がつまるような生活の中でも、意外と遊んだりはしていた。

例えば、仲が良かった韓国人留学生に誘われて某バルーンフェスティバルに行ったりもした。(試験2週間前くらい)

 


正直この時、試験前の土日が遊びで潰れるのはきついなと思っていた記憶がある。しかし、息抜きは必要。今振り返ってみれば、あの時行って本当に良かった。


(最近その子に再開したら、「あの時ホテルの隅っこで中国語の単語帳を開いて勉強していたのを覚えてる」「頑張っていたから、蓝天(私)が留学できて本当に良かった」と言われてちょっと恥ずかしかった。覚えていないが旅行にも単語帳を持ち歩いていたらしい)

 

こうした対策の甲斐もあり、試験は手応えがある状態でおえることができた。

さらに試験日当日の夕方に公開される公式の解答速報で採点をし、合格を確信した。

「私もこれでついに台湾留学ができる」と思った矢先、重大な問題が発覚する......。

 

 

part6 試験結果と挫折

私は既にTOEFL500点以上を所持していたため、中国語検定3級の結果と合わせて留学を申請するつもりだった。

2年後期の留学申請は12月15日までの提出。

 

しかし!中国語検定の結果が出るのはその2日後だった。

それを知った直後、ぞっとして、学務に直談判をしに行った。

「合格点を超えているので2日だけ待ってもらうことは出来ないか」という旨を伝えたが、返ってくる言葉は「出来ない」の一点張りだった。

 

私は今でもあの日の挫折感を覚えている。

条件を持ち合わせているのに、ずっと1年間頑張ってきた努力が「受け入れられない」悔しさ。

 


当然、2日後の結果は合格。

ほぼ自己採点通り、筆記91点、リスニング93点だった。

 

2年後期からの留学のチャンスは目の前にあるのに「結果が出る日程」だけが原因で消えてしまった。しかもたったの2日違いだけで受理拒否。

本当に悔しすぎて、あの時は例の韓国人の友達の前で泣いた覚えがある。

 

しかし私はまだ留学を諦めてはいなかった。

台湾出身の先生も「3年前期からの留学でも悪くない」と仰っていたので、そうしようと思っていた。

また、今度は「1つも文句を言わせない条件を持ち合わせておこう!」という燃える心でIELTS6.0を目指し始めた。

 

 

 

part7 IELTS対策と転機

英語に関しては完全にスピーキングがダメだとわかっていた。そのためコーチングフェローにに相談し、紹介してもらった先生と週1の会話練習を12月の中旬から始めた。台湾に申請できないことがわかった直後くらいだった。

 

年末は帰省によるやる気喪失で何もしなかったが、1月に入ってからは期末試験の準備と並行して毎日読解、リスニングを1回分やる生活を始めた。


私は大学生になると英語に全く興味ない、むしろ嫌いという気持ちがあったためIELTSという4側面から英語の能力を測るテストなど自分には不可能だと思っていたが、1ヶ月の集中勉強と先生方の協力もあって、2月の試験で目標のバンドスコア6.0を取ることができた。

 

 


実はIELTSの勉強を始めてすぐの年末、台湾出身の先生から持ちかけられた話があった。

それは、「中国政府奨学金のことだった。

 


私の大学では冬になると中国政府奨学金生の募集をかけていて、校内枠は2人分あるということだった。

その時点では、中国語検定3級が申請の条件とされていた。

先生曰く、私の点数があれば校内選抜は確実に通るだろうということ、留学は翌年の夏開始なので、私が目指していた「2年後期からの留学」が可能であるということを伝えられた。

さらに、私が欲しかった「台湾の東大」という肩書きに負けない「政府奨学金生」という経歴も持てるというのだ。

 

その時は、予想もしていなかった話で心が揺れ動いた。

正直、長期留学に中国なんて行く気持ちなどさらさらなかった。だって行ったことあるし、それなら行ったことがない東南アジア、もしくはオタ活ができる韓国に留学したい。

 

それに私がずっと目指してきたのは「台湾留学」。おそらく、3年前期からの留学申請にはほぼ確実に通る。しかし同時に目指してきたのは「2年後期からの留学」であることも事実。

どちらを優先するべきかに関してずっと迷っていたが、結局出した答えは「とりあえず奨学金に申請してみよう!」だった。

「中国」と言う点はあまり乗り気じゃなかったけれど、その時の私には色々と適した条件に感じられたのだ。


しかし、もし政府奨学金に通らなかったら怖いし、今できることを「やらなくて後悔」するのが死ぬほど怖かったので、どういう結果になっても困らないように、中国への留学に心が動きつつも、IELTSの勉強を続けた、ということだった。

 

 

 

 

 

 

 

part8 資格以外の留学準備

ここまでの過程の中で、留学に必要な資格勉強のほかにも沢山の準備を行ってきた。

 

例えば「2年後期から留学することのメリット」、「どうすれば2年後期から留学できるのか」、「歴代の台湾留学志望者の傾向」などについて知ることである。

 

3つ目に関しては、台湾大学が非常に人気が高い留学先で、基本的に上級生の希望が優先されることを知った。先輩に勝つには「相当な武器」が必要だと言うことも。(こうした事情もあって、中検を取ろうとしたというのもある。英語の資格だけでなく、中検を取ることで先輩たちと自身を差別化しようとした)

 

こういう情報は早めに知っておくことで対策方法が変わってくるから大事だと感じた。

 

その他には、留学申請時に学部長の推薦を受けられるように、指定された期間中、留学関連の課外活動に必ず参加した。

 

こうした様々な対策の中でも、1番良かったと思うことは、「いろんな人の話を聞くこと」である。


私の学部では2年後期の留学は歴代に1人しかいなかった。そこでまずはその人にどのように志望校を決めて、資格勉強をして、準備を行ったかを聞くために学部の先輩との交流会に参加し、そこで知り合った先輩に2年後期留学を果たした唯一の先輩に会えるようにお願いした。

 

その他には、台湾留学についてきっと色々知っているだろう!という予想から、上記したように台湾出身の先生に対談のアポを取った。

 

もちろんその他にも、留学担当の先生達に早くから相談に行ったし、CFとも仲良くなった。台湾人留学生と友達になるために留学生交流会にも参加した。


その時に知り合った台湾人留学生の方々には中検を受けるにあたって沢山協力をしてもらったので今でも非常に感謝している。

 


このように、人との輪をつなげていると、誰かが自分を助けてくれる。

今必要な行動は何なのかも明確になるし、闇雲になる心配がなくなる。


あと台湾出身の先生に相談していたのは本当に正解だったと思う。

先生がいなければ、あの時中国政府奨学金の話は頂けなかっただろうと思うから。

 


とにかく、人に感謝しながら、思いっきりお世話になることは大事だ!!!と学んだ。

 

 

そしてもっと大事なことは、「チャンスは逃さない」ことだ。

これは自論になってしまうが、英語だけの試験を受けるのではなく、他の人がやろうとしない中検を受け、いざ問題が起きたときにでもどちらかの試験結果を利用して留学申請できるように、と保険に保険をかけたことで、結果的に不意ではあったが政府奨学金への申請が可能になったと思っている。

 

 

 

 

とはいえ.....正直にいうと、中国留学に切り替えたことが全て良かったとは言えない。


先生に言われた通り校内選考に関しては問題なく通過できた。

そして、志望校を3つ書いて中国政府奨学金の申請をした。

 

元々台湾道教の研究が目的だったこともあって、所縁があると思われる福建の大学を第一希望にするつもりだった。しかし都会で便利、かつ宗教系の社会学に強い先生がいるという上海の「華東師範大学(华东师范大学)」を第一希望にして出した。

他は適当に選んで。まさか、第三希望の大学になるなんて思わずに。(笑)

 

政府奨学金のちょっと残念なところはそこだと思う。必ずしも第一希望の大学になるとは決まっていない点。「絶対にこの大学に行きたい!」という気持ちがある人には、向いていない。

 


また私の学部的にいうと、中国語学科ではないため、現地で受けた言語の授業は単位交換できない。

したがって4年で卒業するには留学先での本科授業の単位が必要。ということは、ある程度中国語が分かる状態で行って授業を受けないと意味がない。

 


さらに個人的にいうと、台湾であれば道教とともに新興宗教という自分の興味分野の研究ができたが、中国では宗教規制が強くてそもそも新興宗教の概念がない。そのため、卒業研究に関しては大幅に計画を変更する必要があった。

 

4年で卒業したくて2年後期に留学して、中国を選んだのに...。

単位もろくに取れず、卒業研究も予め進めておくことが難しいとなると、私の4年間の計画は全て崩れてしまう。という焦りを中国に行く前から感じた。


....まあ結果的にいうと、現在のところ、次の学期から本科の授業を受けるつもりで、取れる単位は全て取る予定。だからなんとかなりそうだ。

 

以上のことから、それぞれの大学や専攻によってどれだけ「政府奨学金」が有意義なものになるかは変わってくると思った。4年で卒業しようと思ってない人は心配なさそうだが。

 


私の場合、上記したような様々な理由から留学に行く前の不安が非常に強かった....。

条件は全て揃っていたため、少し待ってでも3年前期からの台湾留学にしておけば良かっただろうか、とも少し思った。

だが、全ては本人の努力次第でどうにでもできると言えるだろう。

 

 

 

part9 現在

留学生活もあと一学期を残すが、今感じることとしては、「上海でよかったかも!」ということだ。


あまり断言はできないのだけど、万年田舎人生だった人間が都会で暮らすのことの刺激は非常に大きかったし、何より都会は便利。

他にも、中国留学をしている留学生を見て自分がこれから何をしたいのかが少しだけどわかってきた。視野も広がった。

早めにこういう体験をすることは大事だと思うし、上海だからこそできていると思う。


また、奨学金のおかげで、お金の心配をする必要なく、世界的都市で勉強ができている有り難さを痛感している。(お金ってやっぱ大事)

 

あの時頑張った自分のおかげで、今の生活があることに本当に感謝している。

 

 

 

 

part10 まとめ

以上のような感じで、私の中国留学は決まった。

最初は単位の問題があって中国に行くことに対してあまり乗り気じゃなかったし、きっと奨学金が無ければ中国には行かなかっただろうなと思う。

 

それに留学開始してすぐの頃は「そんなに興味もない中国語の勉強をする意義」が分からず、アイドル以外にモチベがなかった(だからブログの題名は「モチベはアイドル」)。

だけど、最近はだんだん中国に対する理解や愛着?のようなものが湧いてきたこともあって、今ではちゃんと喋れるように努力しよう、という気持ちになっている。

 

 

人間は意外とあっさり変わったりするもんだ。

そりゃもちろん今頃台湾で最高の教育を受けていれれば1番よかったかもしれない。「目標をやり遂げた」という自信につながっただろうし、肩書きを気にしがちな自分にとって「台湾の東大で留学できている」というだけで自己肯定感が上がったんじゃないかと思う(笑)。だけど、まさか最初は行くなんて一ミリも思っていなかった中国を選んだ今の自分も、なんだかんだよかったりする。私は今の環境を気に入っている。

 

 

 

 

 

...まあ留学先で日本人と話すにつれて、殆どの大学には(中華圏留学になると)資格条件がないと知ったので......。大半の学生には参考にならない内容だとは思うが、私の現在の経緯を残すという目的も踏まえて今回記事にしてみた。

 

また、常に何が起こるかは分からないが、後で後悔しないように、自分がその時できることをやっておくことが大事ではないだろうか、と言うことを伝えたかった。

 

 

 

 

 

 

ちなみに中国に到着してからも様々な困難があったので.....こっちもいつか記録に残したいと思う。

 

 

 

 


ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

(2022/11 生意気な語り口調で書いていてびっくりした...文体をすべて統一するために訂正しました。😂)