モチベはアイドル

留学・旅行記録、韓国アイドルから中華アイドルまで

中国に行ってオタク観が変わった話

 

今まで、私にとってのオタ活とは「日常からの逃避と承認欲求を満たすためだけのもの」だった。

 

KPOPのオタクを始めてもう10年ほど経つかと思う。

幸いなことに、どの時代にも自分の周りには人数は少ないが、同じグループを好きな友達がいた。

中学時代、高校時代、そして今も、すぐ会える距離に様々なタイプのオタクがいて、好きな時に好きなだけ推しの話をしてきた。

 

ちなみに私がCDを買い、日々の活動をツイッターで追い、友達と推しを語るだけでは気が済まなくなったのは、高校に入ってからである。

デビューしてすぐから某惑星グループが好きだった私は、高校のクラスメイトの影響もあって現場に通うようになった。そのクラスメイトは行動力が凄まじく、高1にして推しのミュージカルチケットを自力で取って一人で韓国に行くような人だった。

こういう人が身近にいると自然と刺激を受けるのだろう。気づいたら私も現場に行くようになった。私の現在の行動力は彼女のおかげで身についたといっても過言ではない(ありがとう友達)

 

もちろん、日本国内の現場やソウルコンなどに身近にいる友達と行けたのはラッキーだったと思うのだけど、だんだんその子との関係性に疑問が浮かんできた。

 

というのも、私とその子とは3年間同じクラスだったが、ただ好きなグループが同じなだけで、別人種ともいうべきほど性格が違ったためか、オタ活の時以外は教室で話すことはほとんどなかった。

当時は「タイプが違うから仕方ない」と思い込んでいたけど、今考えると物凄い不思議な関係性だった。

 

のちに他のクラスで同じグループが好きな子なども一緒にオタ活をし始めたものの、高校三年生になり、受験勉強に本腰を入れることになってから全くと言っていいほど関わらなくなってしまった。

 

今まで一緒にオタ活していたことなど、なかったかのように教室ですれ違う…。

 

これって本当は悲しいことのようだけど、私は大学受験勉強に必死で、あまり考えないようにしていたし、正直当時は何にも感じていなかったと思う。深い関係を築いていたわけではなかったので、「別にいいか」と。

むしろ深い関係出なかったことに救いを感じていたのかもしれない。振り返れば、ビジネス友達みたいな感じだったのかなぁ、なんて思う。

 

 

その後、大学生になり、それまでちょこちょこMVなどを見て気になっていたたNCTを好きになり追い始めるのだけど、そこでもまた不思議なオタク関係が構築された。

 

オタク界にはタグというものが存在する。各グループごとのタグをリツイートする事で、友達を増やすしくみなのだが、私もある界隈に入ったすぐはよくタグツイをしていた。

実際に、タグツイで相互フォローになり、現場が被って現地で会う、という人も何人かいた。

しかしそこで起きたことは、あってしばらく経った後、相互フォローを切られるという展開...。私の何かが気に食わなかったんだろうか...。

 

もちろん現在進行形で、現場などでお会いしてからもずっと相互フォローで仲良くしてくれている友達もいる。しかし、そうではないことが何度もあったのだ。

 

現場であった時、何かをした覚えもないし、むしろ楽しく会話をした覚えしかない相手に、急にブロ解されてしまうのって、物凄くモヤモヤ案件だし、悲しくないですか。

 

私のガラスのハート()は気づかぬ間にダメージを受けていたみたいで、それ以来、私は軽く"人間不信"みたいになってしまった。

 

まぁ言うて小学生の時好きだった日本のアーティストのコンサートも、惑星グルの初現場も、一人で行ってたし.....と、元々一人で現場に行くことが苦ではなかった私としては、留学直前になると「別に一人で現場行けばいっか」みたいに開き直っていた。(1人で行くほうが全て自分のペースで決められるからいい、という利点もある。)

 

一方で、少し寂しい気持ちももちろんあった。

 

でも、またオタク友達と実際会ってみて、理由もなくフォローを切られる切なさを味わうほうが怖いし、オタクをすることはあくまでも推しへの承認欲求を満たすためのものだから…と自分に言い聞かせていた気がする。

 

結局、留学前最後の現場(中国に向かう2日前)も、1人で向かい、1人で参戦して帰った。

そうして、ついに中国留学に向かうのである。

 

 

 

現在の推しグルがデビューしたのは留学後半の時期から。

初めての現場は番組収録だった。海外現場は韓国や台湾での経験があったのでチケ取引以外は特に不安などはなかった。

会場に着いた時から目に飛び込んできたのはメンバー出勤出待ちの行列。なんとなく紛れ込んで、思い切って隣にいた子に話しかけてみた。彼女は「いつどこにならびに行けばいいか」と問う私に親切に返答してくれた。話が弾んでいく中でSNSも交換し合った。実はその子とは、今でも連絡を取り合うほど仲がいい友達である。

 

ちなみに、収録中に右隣にいたオタクは日本語学科卒業の人で、左隣は右隣の方の友達だった。私が中国語をすべてを理解することは出来ない状況だったため、分からないところを日本語に訳してくれたり、お互い協力し合って推しの名前を叫んでみたりと「オタクとしての楽しさ」とはこういうことなんだなと感じる現場を体験したきがする。

 

その後も化粧品のイベントやサイン会など様々な現場に行ったが、どの場面でも中国のオタクの助けがあった。また、現場以外でもオタク同士で集まって遊んだり、最終的には家がない7月の一か月間は家に泊まらせてくれたりなどもした。

 

以上のように、私が留学中のオタ活で感じたのは、とにかく中国のファンってとてもあったかいということ。

もしかすると、私が彼女たちにとって外国人だからこんなに良くしてくれたのかもしれないが、一方で7月に旅行ついでに友達の実家にお邪魔した時は、「ここに来る人はみんな家族なんだからそんなに改まらないで」と言ってくれた。その言葉を聞いた時、とても感動した。

 

中国オタクは一見すると強烈な単推しファンの集まりで、いつも喧嘩しているように見えるかもしれない。しかし、同ペン同士の絆や、友達になった人同士の「繋がり」は非常に深く、まさに“家族”のような関係性である。

 

私は日本のファンを批判したいわけではない。ただ、(私が出会ってきた一部の人だけかもしれないけど)自分に都合が悪い人やちょっと気に食わないと思った人をすぐ切る文化みたいなのが一部ファンの間では定着しつつある気がする。

それってちょっとおかしいのではないか、と問いかけたいだけなのだ。

 

ファン同士の関係って決して使い捨てなんかではないと思う。

 

出会った場所がアイドルを第一目的とした「オタク活動」をする現場・ネット上であっただけで、一度友達になればそれは、身近にいる友達と同じように大切にするべき存在ではないだろうか。

 

そう言った意味では、わたしにももしかしたら非があったのかもしれない。むしろ、オタク友達は使い捨て、と思うことで関係が切れた時でも落ち込まない保険をかけていたのは自分だったのではないだろうか。このように考えてしまっていたかもしれないと言うところは、反省すべき点である。

 

 

 

今でも、正直なところ自分の中では「オタ活」とは「承認欲求を満たすこと」、であることに変わりはないと思う。

また、同じことの繰り返しの退屈な日常の中で、刺激をくれる時間であることも間違いない。

ただ、今の私には確かに「友達との繋がりの場」という要素も追加されている。

 

「友達を大切にする」、「繋がりを大切にする」というとても大事なことを、中国のファンは教えてくれた。

 

中国ファンに良くしてもらったからこそ、今いるオタク友達との関係を大事にしようという風に思えるのだ。

 

 

 

そう言った意味ではやはり、中国に行って私のオタク観は大きく変わったのだと思う。