モチベはアイドル

留学・旅行記録、韓国アイドルから中華アイドルまで

好きな人の言葉の影響力って怖いなぁ、と思った話

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 (去年の11月13日に書いていた記事です。)

 

推しグルのメンバーが最近タトゥーを入れた。

おお、ついにタトゥーを入れたか。とそのぐらいの感想しか抱かなかったし、別にタトゥーがどうこう、と言いたい記事ではない。

 

ただ、20年そこそこの私の人生の中でも印象的な出来事の1つを思い出したので、ここに書いてみようと思う。

 

 

 

始まりは小学校4年生にまで遡る。

 

私はこのころ、好きな人もおらず、ちょっとお金持ちの友達の家で、大量のぬいぐるみを使っておままごとをするのが人生の楽しみだった

 

一方で私は5歳ごろから生粋のオタク。何かしらの対象(例えば幼少期はモー娘。やミニモニ)を崇拝するという習慣を早々と身に着けていたのだが、小学4年生のとき、私はあるアーティストを好きになった。

 

その歌手とは安室奈美恵である。

私はアムラー世代ではないが、ちょうどその時期発売されたアルバムを母と出かけた先で見つけ、そのまま購入したのがきっかけでファンになった。

 

当時は家にパソコンがなかったため、週末は近所の図書館のインターネット閲覧スペースで安室ちゃんの画像を漁り、中古屋でCDを買い揃え、毎日ツアーDVDを見る、という生活をしていた。我ながら10歳そこらにして立派なオタ活をしていたと思う。

 

私は安室ちゃんの全てをリスペクトしていた。

だから、腕に入ったタトゥーも「かっこいい」と思っていたのだ。

それも、本気で。嘘偽りなく。

 

 

そして小学5年生になって半年が経った頃。

私の中で"大きな変化"が起きた出来事があった。

それはまさに、私の人生を(いろんな意味で)大きく変えたと言っても過言ではない人物の登場である。

 

 

その人は転校生だった。

地元からずいぶん離れた場所からやってきたちょっと変わっている男の子。

最初、ちやほやするクラスメイトを横目に私は一切興味がなかった。

 

ところが、理科の授業中、その人と班が一緒になったことをきっかけに仲良くなり、いつの間にか好きになっていた。

 

好きな人が出来たのはいつぶりだっただろうか、小学2年生ぶり?

それまでお金持ちの子の家で遊ぶことと、安室ちゃん以外眼中に無かったのに、転校生を好きになってしまったのだ。(ありがち)

 

気づけば、1人だけ聞きなれない方言を話す姿も、ちょっとイモ臭い容姿だけど頭が抜群に良くて運動神経もクラス内トップレベル、それでいてモテるのに女子に一切興味がないところも、とにかく全てがすき~~🧡となっていた。もうそれはそれは恋する乙女化。

 

そして事件(?)は発生した。

忘れてはならない、私は好きな人が出来たとは言え、安室ちゃんが好きなのに変わりはなかった。

 

ある日の昼休みだったか放課後だったか。

私は安室ちゃんが出ている雑誌の切り抜きを見ていた。

ちょうど私の席の近くにいた好きな人とその友達。切り抜きに気づいたのか、友達の方が「誰それ」と聞いてきたので、「安室奈美恵だよ」、と答えた。

 

「ほらみて、めっちゃ可愛い」

『ええ~、全然可愛くない』(彼の友達)

「これとか、タトゥーかっこいいじゃん 入れたいわ~」

『はぁ?全然カッコよくないし タトゥーとかかっこよくないやろ』(好きな人)

 

好きな人も話に参入してきたかと思えば、なんと「タトゥーはかっこよくない」と言ってのけた。

 

衝撃的だった。

そして私は急に、なぜだか恥ずかしい気持ちになった。

 

 

今まで私は、安室ちゃんがやっていることは全てカッコいいと思い込んでいた。(その考えのままでも間違っていたわけでは無いだろう。)

 

もちろん、当時ネット環境がなかった私にとって、他人の意見など知る機会がなかったし、日本での一般的なタトゥーに対する考えなど知らなかった。(図書館ではいつも画像漁り)

 

だから、「もしかして一般的にタトゥーはかっこよくないことなんじゃないか」ということに、気づいてしまったから恥ずかしかったんだろうか?普通の考えとはずれているという意味で。

 

その意味も、もちろん少しはあっただろう。でも私はこう思う。きっと、日本の大多数が「タトゥー」を嫌っているとその時知っていたとしても、安室ちゃんが好きだから「嫌だ」、「カッコ悪い」なんて思わなかったはずだ。私は自分を貫いていたと思う。

 

自分が今まで当たり前に「かっこいい」と思っていたものが、好きな人に否定された...

 

やはり、私の考えが一転したのは「好きな人の言葉だったから」という要因が1番大きかったのではないだろうか。

 

 

 

それからというものの、私は突然「タトゥー」が大嫌いになってしまった。

 

東方神起がsurvivorで活動し始めたころからKPOPを本格的に好きになっていくのだが、KPOPファンになることは、タトゥーに対する偏見との戦いと言っても過言ではなかった。

 

というのも、掘れば掘るほど出てくるタトゥーを入れているアイドル!笑

 

アイドルだけにとどまらず、とにかくタトゥーを入れている人を見るだけで毛嫌いして否定する日々。

でもなんて言うか...自分でも内心ではタトゥー拒絶し続けることに疲れていた。

 

こうやって、自分の中で生じる「タトゥーを毛嫌いすることに対する疲れ」に気づいているのに、タトゥーを見ただけで否定せずにはいられない思考回路になってしまっていた。(病気やん)

 

それは、高校生になっても変わらなかった。この頃は、とにかく、推しだけにはタトゥーを入れてほしくない、と思いながら生きていた。(これは本当)(結局当時の推しはタトゥーを入れました 笑)

 

大学に入る頃には「タトゥー入れててもその人の勝手だけど、入れてる人を好きになることは絶対にない」という謎のポリシーみたいなものが自分の中で完成していた。

 

 

 

と、このように、小5のとき、好きな人が言った経った一言

「タトゥーとかカッコよくないし」

この言葉に数年間も自分の考えは縛られてきた。

 

 

 

 

私がタトゥーに対して何も思わなくなったのは中国留学して半年を過ぎたころからだと思う。中国ではほぼ「毎日」という高頻度でタトゥーを入れている人を見ていたから、すっかり慣れてしまった。

 

中国(上海くらいしか分からないが)は本当にタトゥーを入れている若い子が多い。

 

実は、親密な友達の腕にもタトゥーが入っていたけど、タトゥーなんて気にならなかったし、そのことのことは友達としてとても好きだ。

 

結局は、タトゥーを入れてる人を絶対に好きにならない、なんて、そんなことはあり得ないんだ、と身をもって実感した。

 

 

今でも推しにはタトゥーを入れてほしいとは思っていないが、入れたとしても「何でファンのこと考えないの」「影響力考えろよ」なんて心のないことは言わないと思う。ただ、その人がやりたかったことなんだ、と受け止めるだけだろう。

 

 

こうやって「慣れ」が私の長年にわたる固定観念を和らげたのだった。

 

 

 

私のこの体験から言いたいことは、「誰かの言葉(特に好きな人の言葉)の影響力は、時に思考や人間性をも変えてしまう怖さがある」ということ。

 

言葉自体、「言霊」といわれるようにそもそも力を持っていると私は思う。

だからこの話は「好きな人」に限定しなくても、信頼している友達、家族、などでも十分あり得ると思うが、自分が好意を寄せる人物の言葉であれば尚更、人を変えるほどの力を持ち得そうな気がする。実際に私はこうやって1つの考えを変えさせられたのだから。

 

それがいい影響ならばむしろプラスの効果があるとは思うが、影響を受けた末に「偏見」や「固定観念」を捨てきれなくなるような変化であれば、それは問題だし、自分でどうにか克服していかなければいけなくなる。

 

 

私は、誰かの言葉に影響されて行動したり、考えが変わるのはいいことかもしれないけど、自分の中に芯となる価値観も持っておかなければいけない、ということを学んだ。

 

 

正直、「自分の中でブレない価値観」が何なのかは、まだはっきり分からない。ただ、誰かの言葉に惑わされて、自分が変わってしまうような生き方にはならないように、気をつけないといけないなと思った、忘れられない出来事でした。